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作者:日刊 本源:日刊 更新時間:2010-9-20 17:46:54 |
ダーツの科學(13) 今回は趣向を変えて、歴史を切り口にしてみよう。 現在のダーツボードの原型になるものは、1932年に英Nodor社が製造している。世は世界恐慌の真っ只中で、戦爭でもしないと経済は回復しそうにないと言うことで、第二次世界大戦の準備が進んでいる頃である。
遡ること2年、同じくNodor社は創業からの本業である『臭わない』プラスティック粘土を利用して、ダーツボードを開発している。粘土のボードは大して売れなかったらしいが、このときにダーツボードに関するパテントを多く登録していたとのことで、後のブリッスルボードにおいても、パテントが切れるまでは、Nodorの獨占狀態だったようだ。
1960年頃にNodorのパテントが切れるとKicks(後のWinmau)が參入して激しいシェアの奪い合いになったようだ。1972年にはユニコーンがPDC(Professional Darts Corporation)チャンピョンシップ復活の資金提供をすることで、認定ボートを提供する運びとなる。翌年に設立のBDO(British Datrs Organization)はKicksのボードを採用。この頃から社名がKicksからWinmauに変わったようだ。
ちなみに1973年當時のWinmauの取締役の夫人がWinifred Maudという名前だったらしい。2002年にWinmauはNodorに吸収合併されたが、Winmauのブランド名は殘す取り決めがなされたようだ。
これらの経緯については、Nodorのサイトには書かれていない。「First, and still the Finest.」のフレーズとともに沈黙を守っている。派手なプロモーションが苦手な職人気質のイメージである。
粘土の前(1930年以前)は、ダーツボードは輪切りの木である。実に80年前まで木の輪切りだったわけで、その頃の慣習が現在でも影響しているかもしれない。ゲームに興じた後のダーツボードは言わずと知れた穴だらけで、一晩中水に浸けて、木が膨張することで穴を修復したとのこと。木が新しいうちは、樹液に消臭作用があるが、使い込むうちに異臭を放つようになったらしい。
それでも、輪切りの木のボードは丁重に扱われ、得點の穴が偏らないように、隨時回転させながら使ったとのことである。おのずと得點システムの確立もこれに準じたプロセスになる。加えて、ボードの中心などは、堅くて刺さり難かっただろうから、得點システムとしては重要なポイントにはならなかったと考えられる。もし中心の得點が高かったら、ボードの壽命を早めるだけだからである。堅い中心に向かって、投げる矢にも力が入ることだろう。
この中心を狙わないボードの運用方法は、現在のブリッスルボードにも受け継がれている。20T周辺の消耗が大きいので、適時36度回転させ、得點表示ワイヤを適切な位置に変えるだけである。當初の想定よりも10倍長持ちの優れものである。逆に家練用のブリッスルボードでブル打ちに勤しむのは、先人の思いを無視した傲慢な行為のようで、罰が當たりそうである。
転じてセグメントの交換ができるソフトボードなら、上記の運用制約から開放される。思う存分ブル打ちができるだろう。悪乗りだが、ブル練専用ならトリプルリングの內側しか必要ないだろうから、消音処理した小型のソフトボードなんかがあると便利かもしれない。上級者用なら、トリプルもなくして10cmや7cmのサイズでも十分だろう。これとクリケット練習用の20-15までのボードがあれば雙璧だろう。2枚セットで2980円、交換用ブルセグメントが3つおまけで付いてくれば、完璧である。
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